《水都大阪 水辺散策手帖》エリア別水辺散策案内 6「木津川・安治川・尻無川・ベイエリア」

水都大阪 水辺散策手帖

水辺散策手帖MAP
水辺散策手帖MAP

【エリア別水辺散策案内】

大阪の海の玄関口
木津川・安治川・尻無川・ベイエリア

海に近い大阪西部は、古代は島だらけ、江戸時代には何本もの堀川が流れていたまさに水の都でした。中之島の西端で堂島川と土佐堀川が合流し、再び木津川と安治川に分流する川口・江之子島辺りは、江戸時代には諸国の廻船が大阪市中に入ってくる海の玄関口として賑わった場所であり、明治維新では諸外国からの船を受け入れるために開いた港でもありました。そして今、海船と川船の乗り換えターミナル中之島GATEサウスピアが誕生し、海からの来訪者を迎え入れます。

中之島の西の端に、大阪・関西万博2025にあわせてモニュメントが設置されました

大阪開港の地

貞享元年(1684)に、蛇行する淀川の氾濫を軽減するために、河口に立ち塞がっていた九条島を分割するように安治川を開削したことによって、全国各地の船が安治川をさかのぼるようになり、河口の安治川口は寄港地として賑わいました。
明治維新となり、日本が諸外国へ門戸を開くことになると、明治元年(1867)、川口を開港場とし、大阪税関の前身となる川口運上所が開設され、隣接して外国人居留地も設けられると、各国の領事館や商館、邸宅などの洋館が並ぶモダンな街並みが広がり、新しい文化の発信地となります。明治7年(1874)には、木津川を挟んで対岸の江之子島に、西洋の古典様式に倣った重厚な建物の大阪府庁舎が海の方を向いて建てられました。大阪市庁舎ものちに近くに設けられ、江之子島は大阪の行政の中心地ともなりました。ちなみに、江之子島は名前のとおり、木津川と百間堀川とに挟まれた中洲の島でしたが、戦後に東側に流れていた百間堀川が埋め立てられ、島でなくなりました。
諸外国からの文化を受け入れる玄関口となったこのエリアは、近代化の先端にありました。しかし、河川の港は水深が浅く、外国の大型船に対応するのが難しかったため、次第に神戸港が多く利用されることになってゆきました。

中之島GATEサウスピア

大阪開港の地であり、大阪税関のあったその場所に、令和7年(2025)4月、海船と川舟との乗換ターミナルとなる公共船着場やにぎわい施設を備えた施設が誕生しました。この地域の歴史を紹介するコーナーも設置されています。大阪・関西万博の会場である夢洲などのベイエリアと、大阪市内の「水の回廊」沿いにある中之島や道頓堀などの観光名所を船で結び、かつての賑わいを呼び覚まします。

中之島GATEサウスピア

OSAKAリバーファンタジー 中之島GATEエリア LEDビジョン演出

中之島GATEサウスピアの対岸に、約80mのLEDビジョンが設置されました。おもてなしのメッセージや大阪の観光情報等を表示し、国内外からの観光客をお迎えします。令和8年(2026)2月頃までの設置予定。

OSAKAリバーファンタジー 中之島GATEエリア LEDビジョン演出
出典:OSAKAリバーファンタジー運営事務局

川口基督教会

慶応4年(1868)大阪開港とともに、長崎から大阪にやってきたチャニング・ウイリアムズ主教は川口居留地に移住し、自宅の一室で英語による礼拝を始めました。これがこの地でのキリスト教宣教の始まりであり、当教会の第一歩となりました。現在の川口基督協会の建物は大正9年(1920)に、アメリカ人建築家ウィリアム・ウィルソンによって設計されました。聖堂はゴシック様式をもとにしたイギリス積みレンガ造が印象的です。平成7年(1995)の阪神・淡路大震災では、教会の塔が倒れ、聖堂は大きな被害を受け、一時は取り壊しの危機にありましたが、平成10年(1998)に聖堂が復元されました。日本近代文明の発祥地の唯一の名残として、今もその歴史を伝え続けています。現在、聖堂見学は予約制となっています。

日本聖公会 川口基督教会

『浪花百景 川口雑喉場つきじ』里の家芳瀧、江戸後期(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

川口にはかつて雑喉場がありました。現在も「雑喉場魚市場跡」碑が残っています。

「雑魚場魚市場跡」碑

『浪花百景 安治川ばし』歌川国員、江戸後期(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

安治川橋は現在の大阪市中央卸売市場と中之島サウスピアを結ぶ辺りに架かっていました。

大阪市中央卸売市場本場

昭和6年(1931)に公設市場として開場しました。青果・水産物とその加工品や加工食料品を扱っています。取扱高は東京都の豊洲市場に次いで日本国内第2位。事前申し込みで「せり場」等の見学ができるほか、場内の飲食店では市場の旬の食材を使ったさまざまな料理が楽しめます。

大阪市中央卸売市場本場

市場統合前の雑喉場(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

京セラドーム大阪

宇宙船のようなフォルムが特徴的な多目的ドームです。「オリックス・バファローズ」の本拠地であり、大物タレントのコンサート等も行われる大阪市内最大の施設です。

京セラドーム大阪

TUGBOAT_TAISHO

川と海に囲まれた大正区の尻無川沿いに、令和2年(2020)に登場した船をイメージした外観の複合施設です。川に浮かんでいるピザレストランや、「新カモメ食堂街」というフードホール、バーやスナックエリで構成されていて、イベントなども開催しています。「TUGBOAT_TAISHO RIVER STATION」からは、一本松海運の「落語家と行く探検クルーズ」も定期運航されています。

TUGBOAT_TAISHO

安治川トンネル

昭和19年(1944)に、日本初の沈埋工法(掘削するのではなく、トンネルを川底に沈める工法)により完成したのが安治川トンネルです。当初、徒歩はもちろん自転車や自動車の利用も可能でした。昭和38年(1963)に安治川大橋が開通したことで自動車の利用は休止されましたが、現在もその遺構は残っています。西区の九条から此花区の西九条を結ぶトンネルの両側にはエレベーターがあり、歩行者と自転車が利用できる便利なアクセスルートとなっています。川底にあるので、夏でもひんやりと涼しく歩けます。

安治川トンネル

天保山

大阪市港区の天保山公園にある、人工的に土を積み上げて造られた標高4.53mの築山です。洪水防止と市中への大型船の入港をしやすくする目的で、天保2年(1831)から約2年間、安治川では「天保の大川浚」と呼ばれる浚渫工事が行われました。工事には町人がかり出されたのですが、「やるなら楽しく」と町ごとにおそろいの衣装をつくったり、太鼓やお囃子で盛りあげたり、お祭気分で作業が行われ、幕府に叱られたそうです。さらえた土砂を積み上げてつくられたのが天保山です。船から見える目印になったので当初は「目印山」と呼ばれました。その後天保山は桜の名所としても賑わいました。現在は、日本で2番目に低い山として、平成10年(1998)からは地元有志による山岳会が、登山証明書が有料で発行されています。

天保山

天保山渡し舟

天保山とユニバーサルスタジオジャパンにも近い対岸の桜島の間を、約400mの距離で結ぶ渡し舟です。明治38年(1905)に開設されたもので、当初は天保山〜桜島〜築港大桟橋の間を三角運航していました。大阪市内には8つの渡し舟が現在も活躍しており、市民の足となっていることはもちろん、近年は無料でクルーズが楽しめるとして、観光客にも注目されています。自転車の持ち込みができるのも魅力のひとつです。

天保山渡船場 出典:大阪市

現役の渡船場
1)天保山渡船場
2)甚兵衛渡船場
3)千歳渡船場
4)落合上渡船場
5)落合下渡船場
6)千本松渡船場
7)船町渡船場
8)木津川渡船場

出典:大阪市

水都大阪 水辺散策手帖
制  作:水都大阪コンソーシアム
編  集:株式会社ビッグアップル・プロデュース
監  修:髙島幸次
※文末に(髙島)とある項目は、監修者の執筆によるものです。
発 行 日:2025年4月

髙島幸次プロフィール
1949年大阪生まれ。専門は日本近世史・天神信仰史。
龍谷大学エクステンションセンター顧問、大阪天満宮文化研究所所長、芦屋大学客員教授。
大阪大学招聘教授、追手門学院大学客員教授などを歴任。
2012年度大阪市市民表彰(文化功労)。著書に『大阪天満宮と天神祭』(創元社)、『奇想天外だから史実 -天神伝承を読み解く-』(大阪大学出版会)など。

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