《水都大阪 水辺散策手帖》エリア別水辺散策案内 1「大川・寝屋川エリア」

水都大阪 水辺散策手帖

水辺散策手帖MAP
水辺散策手帖MAP

【エリア別水辺散策案内】

雄大な川の流れと豊かな自然に癒される
大川・寝屋川エリア

淀川から毛馬閘門を経て、大阪市内の中心部に流れ込む大川は、いわば水の都の玄関口。大阪城へも川でつながり、春にはお花見、夏には夕涼みや天神祭の船渡御、秋はお月見と、昔から水上で四季を楽しんできました。

毛馬閘門

淀川から大川(旧淀川)が分岐するところに「毛馬閘門」が設置されています。かつては現在の大川が淀川下流の本流でした。大川は、この毛馬辺りで大きく蛇行して大阪市中に流れ込み、大阪湾に注いでいたため、たびたび洪水を起こしていました。そこで明治18年(1885)の大水害を機に、大阪湾に直線的に放水する淀川下流の開削が計画され、明治42年(1909)に淀川改良工事が完成し、現在の淀川本流となりました。これに伴い、明治40年(1907)には、淀川本流と大川を航行するために両川の水位差を調整する「毛馬閘門(第一閘門)」が造られ、大正7年(1918)には第二閘門も増設されました。

毛馬第一閘門(重要文化財)

毛馬第一閘門(重要文化財)

その後、昭和49年(1974)に現在の第三閘門が新設されると、第一閘門は陸地の公園施設として整備され、国の重要文化財にも指定されています。かつては船が通航した閘門の川底を歩いて通過できるという、類例のないユニークな人気スポットになっています。なお、第二閘門は小型船舶の停泊・係留のための船溜まりとして使用されています。

毛馬閘門(大川側)

毛馬閘門(大川側)

《コラム》 俳人・与謝蕪村と「源八渡し」

昭和11年(1936)、毛馬閘門の大川下流あたりに源八橋が架けられました。それまでは、この辺りには大川右岸の天満源八町と左岸の中野村を結ぶ渡し船が往復し、「源八渡し」と呼ばれていました。
 江戸中期の毛馬村に生まれた俳人・与謝蕪村(1716~1783)は、この付近を詠んだ句を残しています。「源八をわたりて梅のあるじかな」と、源八町の渡し場から対岸の中野村にある有名な梅林を眺めて詠んでいます。『浪花百景 源八渡し口』は、反対に中野村から源八町を望んだ構図で、大川右岸の桜が描かれています。この辺りの両岸は季節になると梅や桜や菜の花が咲き誇り、花見や舟遊びを楽しむ遊覧船も行き来していました。

(髙島)

『浪花百景 源八渡し口』歌川国員、江戸後期(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

大阪ふれあいの水辺

大川左岸の毛馬桜之宮公園内の貯木場跡を活用し整備された人工の砂浜で、幅約140m、奥行約30m。都心部で河川に直接触れて水辺の魅力を体感できる空間は珍しく、カヌーやパドルボード、砂浜では自然観察、ビーチスポーツなどで、水辺に親しむことができます。

大阪ふれあいの水辺

花見の名所、桜之宮

桜之宮の辺りは、景勝の地として名高く、地名のとおり春は桜、夏は涼み舟、秋は月など四季折々の水辺を楽しむ人で賑わってきました。とりわけ春の桜は有名で、この地一帯に桜が咲き乱れ、大川の両岸沿いには水面に枝をしだれるように桜の並木が続く様子は圧巻です。
水の都である大阪における花見の名所の特徴は、陸路と水路の両側から楽しめることです。3月下旬〜4月上旬の桜シーズンになると八軒家浜船着場から出航する「大川さくらクルーズ」が行われ、船から桜を楽しむことができます。

大川の両岸に桜並木

大川の両岸に桜並木が約4.2㎞続く(川崎橋上空から上流を望む)

水面に向かって枝を伸ばす桜

水面に向かって枝を伸ばす桜

『浪花百景 さくらの宮景』歌川国員、江戸後期(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

『浪花百景 川崎ノ渡シ月見景』南粋亭芳雪、江戸後期(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

大川は月見の名所でもありました。

造幣局

造幣局は、近代国家としての貨幣制度の確立を図るため、明治新政府によって明治4年(1871)に、当時としては画期的な洋式設備によって貨幣の製造を開始しました。造幣局は、大阪が本局で、埼玉県と広島県に支局があります。大阪が本局となった理由については諸説ありますが、硬貨は数が多いと大変重いので水運が発達していた大阪の川沿いが選ばれたと言われています。
造幣局と言えばやはり「桜の通り抜け」で有名ですが、造幣局の桜は、明治の初めに旧藤堂藩蔵屋敷(泉布観の北側)から移植されたものです。品種が多く、珍しい桜もあったことから、明治16年(1883)、当時の造幣局長が「局員だけの観桜ではもったいない。大阪市民の皆さん方と共に楽しもうではないか」と発案し、満開時の数日間構内川岸を開放して一方通行による通り抜けが始まりました。
造幣局の桜は、八重桜や枝垂れ桜が中心で、川沿いのソメイヨシノより見頃が1週間程遅いため、この辺りは4月初旬から中旬までの長い期間、お花見客で賑わいます。
京阪電車の開業日は明治43年(1910)4月15日ですが、これは造幣局の通り抜けの行楽客を見込んでの開業で、桜と新しい電車を見物しに多くの人が押し寄せたそうです。

造幣局

造幣局

水売り

大阪は海から陸化した地であるため、地下水は塩分を含んでいることが多く、飲み水に適していませんでした。そこで、大川上流の清らかな水を汲んで天秤棒でかつぎ、飲料用に売り歩く「水売り」という職業が明治初期までありました。
特に造幣局の対岸あたりは入り組んだ湾になっており、清冷で美味しい水を湛えていました。茶の湯にも向いているというので、豊臣秀吉もこの辺りの川の水を茶席に運ばせたと言われています。現在でこそ飲料水は「買うもの」とのイメージが定着していますが、水を販売した先駆者が大阪の「水売り」だったのかもしれません。

水売り

また、江戸時代から明治時代にかけて活躍した文人画家で煎茶に造詣が深かった田能村直入は、この地に「青湾茶寮」という寓居を定め、近代以降の煎茶会の規範ともなった大寄せの煎茶会を行っていました。現在、毛馬桜之宮公園に残る「青湾」の石碑は、文久2年(1863)に建立されたもので、裏面には大坂の煎茶史と、あわせて青湾の水が煎茶にいかに適したものかが説かれています。

「青湾」碑

藤田美術館

明治の実業家であった藤田傳三郎父子による東洋古美術品のコレクションを約2,000件所蔵しています。うち曜変天目茶碗をはじめ9件が国宝、53件が重要文化財と、民間施設ではトップクラスのコレクションを誇り、令和4年(2022)4月には全館建て替えてリニューアルオープンしました。館内のあみじま茶屋ではお茶とだんごがいただけます。(入館料1,000円)。

藤田美術館

水の都の船渡御

神社に祀られている神様は、年に一度だけ、氏子の平安無事を見届けるために氏地を巡幸します。その多くは陸路の陸渡御ですが、水の都大阪では、神社のすぐ近くを流れる川を利用して船で巡幸する船渡御も盛んでした。残念ながら、現在は平安時代から続いている大阪天満宮の天神祭・船渡御と、平成13年(2001)に230年ぶりに復活した難波八阪神社の夏祭・船渡御だけになっています。
天神祭・船渡御は、毎年7月25日の本宮(本祭)に、天神橋から遡航する船列と、上流の飛翔橋から下航する船列、合わせて100艘もの船が大川を行き交い、上空には奉納花火が打ち上げられ、川岸や橋上に130万人もの見物客が群集します。夏祭・船渡御は、7月13日の宵宮に、華やかに艤装された20艘の船が道頓堀の戎橋から日本橋の間を航行します。真夏の夜の「船渡御」は、大阪が「水の都」であることを再認識させてくれる祭礼なのです。

『浪速天満祭』歌川貞秀、1859年(国立国会図書館デジタルコレクション)

『浪速天満祭』歌川貞秀、1859年(国立国会図書館デジタルコレクション)

『浪花百景 天神祭り夕景』歌川国員、江戸後期

『浪花百景 天神祭り夕景』歌川国員、江戸後期(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

大阪城

豊臣秀吉が築城したのち、徳川による二代目天守を経て、現在の天守閣は昭和6年(1931)に市民の募金によって再建された三代目です。内部は博物館となっており、城にまつわる歴史が展示されています。(入館料大人1,200円)。

大阪城天守閣

アクアライナー

昭和58年(1983)から大阪の水上観光の定番クルーズ「アクアライナー 大阪城・中之島めぐり」が大阪城港から発着しています。高度成長期にすっかり失われてしまっていた水上遊覧が復活した記念すべき第1号の遊覧船でした。現在も、約55分で四季折々の大阪城、造幣局、大阪市中央公会堂等をめぐることができます。

アクアライナー

京橋

大阪城の北側を流れる寝屋川に架かる公儀橋で、京へ向かう京街道の起点に位置するため「京橋」と名付けられました。現在では、「京橋」より1㎞余り東方のJR大阪環状線・京阪電車の「京橋駅」周辺の繁華街の名としての印象が強いようです。現在の京橋は全長55.1mですが、川幅の広かった最長時には100mを超えていました。

『浪花百景 京橋』南粋亭芳雪、江戸後期(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

大阪公立大学 森之宮キャンパス

令和7年(2025)9月、大阪公立大学が大川に合流する第二寝屋川にも近い森之宮にメインキャンパスを開設します。13階建てのビルの中に、教室、研究室、実験室等や、食堂、売店、図書館(ライブラリー)、スポーツ施設のアリーナ、サブアリーナなど多機能な用途を備えており、天候に関係なく移動が容易にできます。1年次は全学部・学域がここで初年次教育を受けます。幹線道路沿道や大学施設内に設けられた広場、ピロティ、中庭などで学生や地域住民など多様な人々の交流が可能となり、これらの広場は災害時の一時避難所としても利用可能で、地域の防災力向上にも貢献しています。

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