川に背を向けた戦後

第二次世界大戦後、急速な経済発展に伴う地下水汲み上げにより、もともと低地だった大阪の地盤はさらに低下したため、度重なる水害に遭ってきた沿岸部の高潮対策として、防潮堤が築かれた。これにより、水害対策は実現できたものの、無機質なコンクリートの護岸が水辺と陸を分断し、人々は川との接点を失い、水辺への関心を失っていった。

また、運搬の主流が鉄道や車に移ると共に役割を失いつつあった堀川が次々と埋め立てられて道路となり、もしくは高速道路に覆われ、水都としての姿を消失させていった。
やがて、高度経済成長とともに急速に拡大した経済活動と人口増加に伴う生活排水や工場排水が河川に流れ込んだことによって水質は悪化し、人々は水辺から顔を背けるようになる。
かつて大阪で暮らす人々が水辺に親しんだ姿は影をひそめ、人々の生活から水辺が遠のいていった。

堂島川
大江橋(1935年完成。国の重要文化財。)の上を高速道路が跨いでいる。右手は大阪市役所。

東横堀川
堀川の多くは埋め立てられたが、阪神高速道路の高架橋が架けられた川もある。垂直護岸が連続して親水性がなく、川に背を向けた建物が多い。

【出典】大阪ブランド資源報告書(大阪ブランドコミッティ、2006年)
【参考文献】水の都おおさか物語(大阪市、大阪都市協会、1995年)